達磨あれこれ

起き上がりだるまのル−ツ、禅宗の初祖、達磨大師は、その昔インドの南にあった香至国という小さな国の第3王子でした。幼名を菩提多羅(ぼだいだら)といい、三兄弟の中でも特に頭脳明晰と伝えられています。ある時、東インドから般若多羅尊者が伝道のためにこの国を訪れました。そして、菩提多羅の才能に深くほれこみ、仏道を修めるように勧めたところ、菩提多羅も尊者の崇高な人格に魅せられて家出を決意。剃髪得度(ていはつとくど)して、菩提多羅と改名したといわれています。

釈尊の正法を受け継いだ菩提多羅の説いた教とは、「人間は誰でもその身心の中に仏心という光輝くものがある。座禅や毎日の暮らしの中で、自分を見つめ、自分を錬り鍛えていくことによって、いつかこの世の真実と一体になり、この世のいやしさ苦しさを乗り越えて、愉快に力強くい生きられる。」ということ。その修行の厳しさは有名で、嵩山の少林寺で9年間、壁に向かって座禅を続け、身動きひとつしなかったと伝えられます。達磨は大変長生で一説によれば130歳以上まで生きたといわれています。

この達磨大師の教が代々弟子たちに受け継がれ、中国大陸に広まり、さらに日本にも伝えられて、今日の禅宗といわれるものになりました。また、達磨は「転んだら起き上がって、また一 から始めよ」とも教えています。七転八起といわれるように、失敗してもいい経験…と自分の力を信じて、コツコツと努力していくことにより、心願成就、目標は達成される、人間の限りない偉大な力を教えたことが、今日だるまが尊重されているゆえんです。

少林山達磨は、延宝五年(1667)小さな草堂のあったこの地に、帰化僧の東皐心越禅師が、徳川光圀公の帰依により開山したとされます。そして、毎年正月の配り札としていたのが、心越禅師の描いた一筆達磨の座禅像。その後、文化年間に上豊岡の山県朋五郎が配り札にヒントを得、達磨寺九代目住職の東獄和尚に型を彫ってもらい和紙を張って作ったのが、高崎だるまの始まりとされています。養蚕業が盛んになった明治には、豊蚕を祈るためにも求められるようになったということです。

福だるまとして親しまれている高崎だるまは、上州独特のからっ風と穏やかな陽ざしの中で長時間乾燥され、あでやかな色とつやをはなちます。目はまんまる、小鼻は紅で大げさに描きいれます。くし形をしている眉は鶴、ひげは亀をそれぞれ形どり、全体に丸い形は家庭や社会の円満を表しています。また、「商売繁盛、家内安全、交通安全、心願成就、目標達成、社運隆盛」等様々な願いをこめて両肩に書かれた金文字も特徴といえます。

高崎を中心とする、関東周辺でつくられているだるまには、いつの頃からか目玉は描かず、目のまわりにはうすく赤く隈取りだけして黒目を描き入れない。このだるまに祈願をかけて、もう一方の目にも喜びの墨を入れて両方の目を開眼させるのです。いかに科学万能時代に生きている現代人といえども、天空の神仏に頼み、先祖の遺徳にすがりたい気持ちが、どこかに残っているようです。


トップへ戻る

通販価格(税・送料込み) お申し込み方法 今井だるま